芸人として舞台に立ち、物書きとしても作品を出し続けている又吉直樹さんと西野亮廣さん。お酒の席のようなくだけた雰囲気の対談は、ある才能が伸びると別の才能もついてくるという話から始まり、バッシングとの付き合い方、物語に出てくる「ダメ人間」と「正しい人」の話へと移っていきました。
才能はばらばらには伸びない
最初の話題は岡本太郎さんでした。あの人は文章もめちゃくちゃ面白い、と二人の意見が合います。西野さんの考えでは、それは当然のことです。あれだけのアートを作るには理屈を組み立てる必要があるし、企画を通すには人に説明しなければなりません。だから言葉も鍛えられる、というわけです。
西野さんはこれをイチロー選手の足の速さにたとえました。野球を極めようとすれば盗塁も守備もあるので、そこらの陸上部より速くなるのは当たり前。ひとつのことを本気で伸ばすと、周りの能力もいっしょに引っ張られる、という見方です。
「芸人に舞台が作れるのか」で入ったスイッチ
そこから西野さんは、もう時効だからと前置きして、5年ほど前に珍しくカチンときた出来事を明かしました。ミュージカルを作ることになったとき、ミュージカルの世界の人から「芸人に舞台が作れるのか」と言われたのだそうです。
西野さんは19歳のころから劇場に立ち続け、数えきれないほどスベって傷を負ってきました。その回数は何百どころではなく何千のレベルで、経験値ならまったく負けていない、と感じたといいます。このとき「日本中のミュージカルクリエイターを処女作で一気に抜いてやる」「目標はブロードウェイ」と腹をくくった、とスイッチが入った瞬間を振り返りました。
刺さった矢には「栄養」があった
又吉さんは西野さんの作品『えんとつ町のプペル』を見て、「いっぱい矢が刺さって、それを乗り越えてきた人だ」と感じたそうです。その矢はなかったほうがよかったのか、と聞かれた西野さんは、言いたくはないけど結局あってよかった、と答えました。矢じりにちょっと栄養があった、という言い方で場を笑わせています。
「応援しろ」がなかった若手時代
西野さんがずっと気にしていたのは、自分に「応援しろ(応援したくなる余地)」がないことでした。たとえばメッセンジャーの黒田さんのように、とんでもない貧乏を経験した人は、当時はつらくても芸人になればそれが一生のネタになります。でも自分は、クラスの中心にいてそのまま吉本に入り、すぐ売れてしまった。誰の痛みを知っていて、誰の代弁者なのかがわからない、と西野さんは言います。
実際、『はねるのトびら』がゴールデンに上がって認知度が一気に上がったあとも、単独ライブのお客さんは年々減っていったそうです。ショッピングモールの営業では大いに盛り上がるのに、お金を払って来てくれるファンがいない。「どうしたものか」と困っていたところに、激しいバッシングが始まりました。
「客から金をもらってやがる」という批判
きっかけはいくつもあったといいます。最初は先輩芸人たちがラジオなどでいじったこと。西野さん自身や相方の梶原さんの言動もあったと認めています。いちばん激しかったのは、新しいことを始めてからでした。西野さんがクラウドファンディングやオンラインショップを始めたのは2012年ごろ。所属タレントがライブ以外の場でお客さんから直接お金を受け取る仕組みは、それまでなかったそうです。
そこで向けられたのが「お客さんから金をもらっている」という批判でした。今思えば、お客さんからお金をもらうのは芸人の仕事そのものです。それでも当時は、ライブのチケットや終演後の物販はよくて、それ以外の形は「悪」と見られていたといいます。又吉さんは、街でネタを見せて面白かったらお金をもらうのと同じで、むしろいちばん原始的なやり方だと応じました。
西野さんにとって大きかったのは、矢を受けながら「何が間違っているんですか」と言い続けているうちに、本気で応援してくれる人が増えていったことでした。
先が見えるのは「お客さんと飲む」から
まだ誰もわかっていない仕組みを、なぜ西野さんだけが先に見通せるのか。又吉さんのこの質問に、西野さんは「感覚ではない」と答えます。業界の人ではなく、お客さんや地方の人と今も飲みに行き、何に困っていて何にハマっているかを直接聞いているからだ、と。
例に挙がったのが、炎上もした『えんとつ町のプペル』の無料公開です。絵本が売れない理由を親たちに聞いてみると、だいたいこんな答えが返ってきたそうです。
- お金に余裕がないので、当たるかどうかわからない本には賭けない
- 中身を知っている本しか買わない
- 本屋で何時間も立ち読みして探す余裕はない
- だから、自分が子どものころに読んで面白かった絵本を子どもに買う
西野さんはここから、絵本は「ネタバレ」していないと打席にすら立てない商品だ、と考えました。それなら、家事の合間や子どもを寝かしつけたあとに家で「立ち読み」できるようにすればいい。立ち読みの数を増やすことが親にやさしいやり方だと考えて、無料公開に踏み切ったそうです。思いつきではなく、お客さんから聞いた話がもとになっている、と強調していました。
又吉さんは西野さんの著書『ゴミ人間』を読んだ感想として、新しいことを最初にやって批判され、数年後に仕組みが広まると批判していた側が手のひらを返す、その流れを作ること自体が西野さんの「芸」のようだと話しました。二番手では影響力が薄まるので、最初の一手を取りにいき、批判を浴びたものを肥料に変えて土を耕している人だ、と。急に真面目なまとめ役になった又吉さんに、西野さんが「急にMCが出てきた」とツッコんで笑いが起きる場面もありました。
なぜ又吉直樹はダメ人間を書くのか
後半は創作の話になります。西野さんの『えんとつ町のプペル』に出てくるのは素直な子です。一方で又吉さんの作品には、落語の登場人物のようなダメ人間がよく出てきます。それはなぜか、と西野さんが尋ねました。
又吉さんは、好きだから、そしてそういう人が周りにいたから、と答えます。余裕があって正解を出すのがうまい人は間違えないし、あまり迷わないので、見ていて安心できる。でも弱い人やダメな人は迷いまくり、間違え、さらに追い込まれて、普段できることもできなくなっていく。そこに人間らしさを見ている、という説明でした。
ただ、そういう人が自分のすぐ近くにいたら遠ざけてしまう、とも正直に言います。「友達にめっちゃ厄介なやつがおんねん」と人づてに聞くぶんには面白い。どこかには生息していてほしいけど、近くにはいてほしくない。それでも好きは好きだし、話を聞くのは魅力的だ、というのが又吉さんの距離感です。西野さんは、絶対に選んではいけないほうを選ぶお笑いコンビ・がっぽり建設を見ていると「キュンキュンくる」と同意しました。
「ちゃんとしてる人はもっと偉い」を忘れない
又吉さんが話していていちばん印象に残ったのは、ここから先です。ダメな人を描くときも、「ちゃんとしている人はもっと偉い」ということを忘れないよう気をつけている、と話しました。
後輩芸人ピストジャムさんのお父さんは真面目な勤め人で、息子が世話になっているからと又吉さんの小説『生きとるわ』の連載を読んでくれていたそうです。ある日届いたメールを開くと、作中のダメな登場人物たちについて「どっちも死ね」と書いてありました。又吉さんはダメなやつでも生きていてほしいという思いを込めてそのタイトルをつけていました。それでも、まっとうに生きている人から見れば、こんなやつらを許してなるものか、と思うのは当然です。又吉さんはその反応を「めっちゃ正しい」と受け止めています。
ダメなやつを「許していきましょう」で終わらせると全部が崩れてしまう。ダメはダメ、という前提は崩したくない。だから生徒会長はちゃんとすごいと思っている、と又吉さんは言います。続けて「中学のとき生徒会長の子が好きだった」と打ち明け、西野さんに「誰が興味あんの」とツッコまれていました。
悪い人が誰もいない、トラック運転手の話
西野さんがお気に入りとして紹介したのは、後輩のお父さんの話です。トラックを運転していたお父さんが、赤信号で停止線を少しはみ出して警察官に止められました。「これくらいみんなやってるだろう」と食い下がり、それなら後ろの車も全部取り締まれとまくしたてます。見かねた助手席のお母さんが飛び出して止めに入り、「この人は酔っ払うといつもこうなんです」と謝ってしまった、というオチです。
お母さんがいちばんひどいとどめを刺しているのに、本人は必死に守ろうとしていた。登場人物に悪い人が誰もいないのに、ひどいことになっていく。それがたまらなく愛おしい、と西野さんは笑います。又吉さんも「落語のようでもある」と応じました。
西野さんは、こういう人間らしさをたっぷり描けるのが小説のいいところだと言います。アニメーションではセリフになったことしか言葉にならないけれど、小説なら「こいつはこんなことを考えているのか」という内面まで書ける、というのがその理由です。
「正しい人」は主人公になれるか
又吉さんは、共感されにくいダメな人物ばかり書いているのは自分の芸風にも合っているけれど、楽をしているのかもしれない、とこぼします。めちゃくちゃちゃんとした人で面白い話を書いてみたい、とも。ただ、純度の高い善人を外から眺めて書くと、結局は語り手がその人をいじる「意地悪なやつの物語」になってしまう、という難しさも口にしていました。
西野さんは、正しい人の物語にも「気持ちいいパターン」があると返します。下心がまったくないピュアな人のせいでプロジェクトがうまくいかない。でも最後は、その人がいいやつだったからこそハッピーエンドにたどり着く。例に挙がったのは小説・映画の『のぼうの城』と映画『スクール・オブ・ロック』でした。
又吉さんにも思い当たる人がいました。ボウリングで又吉さんがストライクを出すと、「俺もそれやろう」と言った可愛い後輩です。じゃあここまでどういうつもりで投げていたのか、と笑いながらも、又吉さんはそういう人をうらやましく思うそうです。自分なら、店員さんが見ていないときや隣のレーンが目立たないときを狙って投げることばかり考えてしまう。だから、ああいう純度の高い言葉は自分からは出てこない、と。
話はやがて「全力を尽くしてきただけなのに嫉妬され、文句を言われる生徒会長」へ移ります。又吉さんは、それは西野さんの人生そのものではないかと笑い、年表にしたら面白い、自分で書いたほうがいいと勧めました。
新作で描くのは「相手を信じ抜く」こと
実はそれが、公開を控えた新作にそのまま重なっていると西野さんは明かします。題材は22〜23歳のころの出来事です。早くデビューしたキングコングでしたが、若さゆえにテレビで結果が出せず、相方の梶原さんが心を病んで失踪してしまいます。活動休止が発表され、レギュラー番組は1日で8本ほどなくなりました。
大阪のマンションで一人きりになった西野さんは、事務所から「一人でやるか」と持ちかけられます。一瞬は心が動いたものの、二人で喋っていた時間が楽しかったこと、自分一人でうまくいってしまえば相方の戻る場所がなくなることを考えて、「待ちます」と答えたそうです。帰ってくるかわからない人を待つのは、人生を振り返っても一番の覚悟だった、と西野さんは言います。
前作が「自分を信じ抜く」話だったのに対し、今回はその上位互換にあたる「大切な人を信じ抜く」話で、さらに難易度が高いのだそうです。これを聞いた又吉さんは、自分の小説は信用しようとした友達に騙され続ける話だと返し、正反対のテーマに二人で笑い合いました。
ダメな人の愛おしさと、まっすぐな人の偉さ。描く人物は違っても、どちらの作り手も人間をどこか肯定的に見ているところは共通している。そんな印象の対談でした。
参考動画
- 【クリエイター対談】又吉と西野が語る「ダメ人間」と「正しい人」のキャラクター論(西野亮廣 / Akihiro Nishino)