中田敦彦さんが「最も憧れた男」と呼ぶ北野武さんが、中田さんのYouTubeチャンネルにゲスト出演しました。話題は漫才ブームの裏側から、北野映画の撮り方、笑いと暴力の関係、テレビの今後までと幅広いものでした。中田さんには具体的な助言も贈っています。本記事では、その中から印象に残った話を整理して紹介します。
漫才をやめた理由は「関西勢」と「ネタの消耗」
北野さんはまず、ツービートとして漫才から離れた経緯を振り返りました。きっかけの一つは関西の漫才師たちの力量だったそうです。Wヤングや、やすし・きよしの舞台を見て、「相方もちゃんと漫才ができなければ太刀打ちできない」と感じたといいます。
ツービートのスタイルは、一人が一方的にしゃべり、もう一人が「よしなさい」で止める形でした。北野さんによると、早口でスピードを上げていたのは間を隠すためでもあったそうです。同じ型の漫才をしていたのが、B&Bの島田洋七さんでした。大阪と東京でネタがかぶり、知らない者同士なら喧嘩になりかねないほどだったといいます。
この頃、横山やすしさんに言われた言葉が今も残っているそうです。「早くしゃべるのはいいけど、関東弁は関西弁にかなわない。関東弁にはリズムはあってもメロディがない」。北野さんは「これはかなわない」と思ったと振り返ります。
もう一つの理由はネタの消耗でした。漫才番組が回を重ねるうちに、5回目あたりから「みんなネタを作っていない。人気の勢いだけで笑わせている」と感じたそうです。「漫才ブームは終わる」と口にしたところ、週刊誌に「たけしがぶった切る」と大きく書かれたという話も出ました。スピード重視の漫才では、新ネタといってもギャグを入れ替えるだけでスタイルは変わりません。そこで相方のビートきよしさんに「いろんなスタイルの漫才はできない」と伝えて漫才から身を引いたものの、解散はしないまま今に至っているそうです。
やすきよの「執念」
印象的だったのは、テレビ番組『THE MANZAI』の収録の話です。若手が7分ほどの持ち時間で次々に爆笑を取るので、トリのやすし・きよしが出る頃には客席が疲れ切っていました。北野さんによると、二人はそこから笑いを取り戻すまで30分以上舞台に立ち続けたそうです。一番ウケたところで本ネタに入り、「いいところだけ使っとけ」とディレクターに言って帰ったといいます。袖から若手を「鬼みたいな顔で」見ていたという負けず嫌いぶりを、北野さんは「漫才師の根性」として語りました。
「コンビになるには10年かかる」
今もときどき、きよしさんとゲリラ的に漫才をすることがあるそうです。打ち合わせは出番直前に楽屋でネタの大枠を伝えるだけ。何十年も組んでいるので、きよしさんはボケがわかれば「よしなさい」と言えばいい、というわけです。
対照的だったのが、島田洋七さんと組んだ漫才でした。ある企業のイベントに破格のギャラで呼ばれて30分ほど演じたものの、二人ともしゃべってしまい、引く役がいません。オチがつかず、交互に漫談をしているだけになったそうです。ツッコミは客の立場から「そんなバカな」と止める役であり、それがなければ笑いのきっかけが生まれない。北野さんはこの経験から「相方とコンビになるには10年かかる」と話しました。
若手への助言もはっきりしていました。
- 稽古場で100回やるより、客前に10回立て
- ウケずに冷や汗をかき、客の「早く引っ込め」という顔を見る経験が栄養になる
- 200〜300人の客を前にして「今日は余裕だ」と思うような人は、お笑いに向いていない
北野さんは、クラスの人気者がそのまま出てきても長くは持たない、とも付け加えています。
『Broken Rage』は「元ネタを先に見せるパロディ」
話題は最新作『Broken Rage』に移りました。Amazonプライム・ビデオで配信されている作品で、前半はシリアスなバイオレンス、後半はそのセルフパロディという構成です。北野さんは「完全に遊び」と言いつつ、撮影の裏話を明かしました。
まず尺について。2時間分を撮ったものの、配信で見られると聞いて編集したら1時間になったそうです。映画館でゆったり見る映画と違って、配信では視聴者が早送りや飛ばし見をします。それを前提に間を詰めて撮ったので、映画館向けならもっと丁寧に撮る、と話しています。
構成の発想も独特です。パロディは本来、『風と共に去りぬ』や『七人の侍』のように観客が知っている元ネタがなければ成り立ちません。そこで北野さんは、元ネタそのものを最初に見せてしまい、後半でそれをパロディにすることを考えたといいます。中田さんは「あまり他にないやり方」と驚いていました。
北野さんはフィルム保存の話にも触れました。映画はまだ100年ちょっとの歴史しかなく、国内外のアーカイブは今もフィルムで保存しているといいます。フィルムには100年もつという実績がある一方、デジタル媒体が100年もつかはまだわからないから、というのが北野さんの説明です。
深作組と黒澤組
昔の映画界の話も出ました。撮影現場は「黒澤組」「深作組」のように監督の名前で呼ばれ、組ごとに独特の空気があったそうです。北野さんの話では、深作欣二監督の現場はとにかく速く、セッティング前でも「はい、よーい」と始まって、照明スタッフは走りながら明かりをつけていたといいます。黒澤明監督は逆で、1時間待たせた末に「そこ違うな、明日だ」と帰ってしまうこともありました。何が違うのかはホテルに戻ってから考えていたのだろう、と北野さんは見ています。
北野組では、カメラマンはおよそ10本ごとに替わってきた一方、照明担当はずっと同じ人だそうです。気に入らなければ役者にもダメ出しをする職人で、新人の役者は萎縮してしまうほどだといいます。
北野映画の緊張感は「映画へのツッコミ」から生まれた
監督デビュー作『その男、凶暴につき』を撮ったのは42歳の頃だったそうです。今42歳の中田さんに、北野さんは「もう貯金は十分。これからだよ」と声をかけました。映画は90歳を過ぎても撮っている人がいる、山田洋次監督もまだ撮っている、と笑わせています。映画の魅力については、音楽、芝居、衣装、天候、写真の技術、絵画的な照明を含む「総合芸術」であり、歴史が浅いぶん残された余地がいっぱいある、と語りました。
中田さんが特に感心していたのは、北野映画の作風の原点です。北野さんは漫才で映画の悪口ばかり言っていたそうです。
- ホラー映画で、爪の伸びた怪物はどうやってホテルのフロントを通って、鍵のかかった部屋に入ったのか
- 振り返ると犯人がいるのはおかしい
- 撃たれた死体を下から映すショットは、いったい誰の目線なのか
- セリフを言う人のそばに、なぜ全員が集まってくるのか
いざ自分が撮る側になったとき、こうしたネタにしてきたお約束を一つずつ外していったといいます。公開当時は「パラパラ漫画みたいな映画」と酷評されたそうです。それでも、予定調和を外した「現場で急に撮った写真のような」画面が、独特の緊張感を生みました。漫才のツッコミが、そのまま映像の文法になったわけです。
バッドエンドなのに後味が悪くない理由
中田さんは「北野映画はハッピーエンドではないのに、見終わると満足感がある」と問いかけました。北野さんの答えは短く、「悪いやつは死ぬってだけだよ」。人を騙して金を持って逃げる話なら痛快にもなりますが、人を殺して逃げおおせれば観客は不快になる。だから悪人はきっちり死ぬか、もう終わっている状態にする、という考え方です。結末をどうするかは理屈より「生理」で決めていて、「ここで犯人が死ななきゃおかしいだろ」と自分にツッコミを入れているそうです。
「感情を揺さぶるものは、すべてバイオレンス」
バイオレンスから青春映画の『キッズ・リターン』、今回の実験的コメディまで、なぜジャンルを問わず撮るのか。この質問への答えが、この対談で一番の核心だったかもしれません。
北野さんは、暴力とは人に衝撃を与えるものであり、普遍的なものだと考えているといいます。「君が好きだ」と告げるのも相手にショックを与えるという意味ではバイオレンスで、優しさが暴力になることもある。だからラブと暴力は同じ意味だろう、と語りました。漫才も同じで、客が思ってもいないことを突っ込んで笑わせるのは「後ろから殴るのと変わらない」。ジャンルの名前は外から付けられたものにすぎず、根っこでは一貫して「衝撃」を撮っている、というのが北野さんの見方です。
笑いは悪魔、悪魔は緊張したところに現れる
北野さんは、お笑いを「悪魔」にたとえました。悪魔は張りつめた場所に忍び込んでくるもので、だから一番ギャグになりやすいのはお葬式だといいます。足がしびれて立てない参列者のように、笑ってはいけない場面にこそお笑いの神様がやってくる、というわけです。
その感覚の源として語られたのが、下町のペンキ職人だった父親の思い出です。兄の結婚相手の家族と食事をした席で、父親は酔うにつれて相手の父親に食ってかかり、裸になって暴れ出してしまったそうです。子どもの頃は怖かったその光景が、大人になるにつれおかしく思えてきたといいます。「追い詰められた弱い親父が開き直った時のバカバカしさ」が自分のお笑いの基本だ、と北野さんは話しました。子どもの頃から、思ったことを口にして親に叩かれる悪ガキだったそうです。
『アウトレイジ』の怒鳴り合いは「漫才の間」
中田さんは、『アウトレイジ』シリーズの怒鳴り合いを「怖いのに面白い」「音楽を感じる」と評しました。北野さんも、あの怒鳴り方と言葉のタイミングは漫才の掛け合いだと認めています。相手の言葉を最後まで聞き、間を取って返す呼吸は、客前に立ってきた人間のものだといいます。言葉づかいは江戸の下町の職人言葉で、「ひ」が言えず「しゃくえん」になってしまう江戸っ子ぶりにも話が及びました。
花菱会の場面で西田敏行さんが見せた「ワレコラァ」の迫力あるやり取りは、ほぼアドリブだったそうです。西田さんから「セリフは全部覚えたけど、アドリブを入れていいか」と聞かれて許可したところ、全部アドリブになったといいます。ほかの役者のアドリブがつまらないときは、監督として台本通りに戻してもらうそうです。
殺し方は「罰ゲームと残酷さの間」
中田さんが毎回の見どころとして楽しんでいるという「殺し方」についても、北野さんは「どうやって殺すかはよく考える」と明かしました。残酷すぎてはいけないが、少し笑ってしまってもいい、そのギリギリのバランスを探るそうです。
歯医者の場面は、実際に地方の歯医者にかかったときに思いついたといいます。治療中にふと目を開けたら、マスク姿の歯科医が笑っていてぞっとした。その場でメモし、すぐ撮影に生かしたそうです。浅草時代には演芸場や楽屋に出入りしていたヤクザから「指詰め」にまつわる生々しい話も聞いていて、その一部は映画のセリフに使ったといいます。劇団ひとりさんが監督した『浅草キッド』については、制作側からそうした関係はあまり描かないよう求められていたそうで、現実はもっと違った、とも話しています。
師匠・深見千三郎の漫才観
『浅草キッド』で描かれた、師匠の深見千三郎さんが漫才を認めない場面は実際にあったそうです。北野さんによると、深見さんは時代劇の世界で片岡千恵蔵さんの付き人をして斬られ役を務め、のちに浅草へ来た人でした。芝居も殺陣もできる芸人にとって、スーツ一着で立ってしゃべるだけの漫才は芸として物足りなかった。「漫才は大阪のもの、関東弁では無理だ」と言い、関東で笑えるのは獅子てんや・瀬戸わんやくらいだと評していたそうです。
テレビ史の証言:萩本欽一と明石家さんま
テレビとお笑いの歴史についても、北野さんならではの見方が語られました。お笑い芸人がまだ「色物」扱いだった時代に、その壁を破ったのはコント55号の萩本欽一さんだったといいます。はがきを読むラジオ的な要素をバラエティに持ち込み、演歌やドラマを駆逐していった。テレビ局は「第二の55号」を探して寄席を回り、それが漫才ブームにつながった、という整理です。
北野さん自身は「後発」だと言います。関西勢があらゆる手法をやり尽くしていて、残っていたのはテレビ番組の悪口くらいだったそうです。
『オレたちひょうきん族』の話も興味深いものでした。ブラックデビル役は当初、高田純次さんでした。コント出身の高田さんとは息が合っていたものの、高田さんが出られない回に代役で来たのが明石家さんまさんでした。台本を無視して好き勝手にやるさんまさんを見て、北野さんは自分がボケからツッコミに回るべきだと判断したといいます。自分がいかりや長介さんのように仕切っていたらドリフには絶対勝てなかった、さんまさんに任せたことで視聴率が並ぶようになった、と振り返りました。
これからのテレビは「見たい番組を買う」時代に
今後のメディアについて、北野さんは日本のテレビもアメリカ型になっていくのではないかと見ています。CMの収入で番組を作る形はもう時代に合わず、スマホで見る時代には、本当に見たいものにはお金を払うようになる、という見立てです。タレントのあり方にも注文をつけ、「レギュラーを週6本もやって稼ぐのではなく、週1本で同じ金額をもらうべきだ」と話しました。
中田敦彦への助言:「もう一度、武勇伝で遊んでみたら」
対談の冒頭で北野さんは、20年前にオリエンタルラジオの「武勇伝」を初めて見たときの衝撃を語っていました。「ラップなんだと思った」「あれを見て、漫才をやめておいてよかったと思った」。武勇伝は自分の理想の漫才だったが、相方のきよしさんはラップ自体を知らないからできない、とも笑っています。
中田さんのYouTubeでの授業についても、北野さんは普段からよく見ていると明かしました。最近見たというマルクスの回では、人の金ばかり使う人物だったという、教科書には載らない人間くさい一面が面白かったそうです。数学が好きな北野さんは、フェルマーの最終定理の回も見ていました。「理系ではないから、ある地点より先には行けない。でも、その先に行っても理解できる人はほとんどいない。ちょっと勉強すればわかるかな、というギリギリのところを攻めていて、教養講座としていい位置にいる」と評価しています。生徒役のリアクションを拾うのがうまいのは、お笑いをやってきたからだとも指摘しました。
そのうえで北野さんは、授業という土台はもうできているのだから、もう一度武勇伝のような漫才を遊びでやってみてはどうかと勧めました。具体案として挙げたのが「家庭教師ネタ」です。生徒役の相方に「フェルマーの定理を説明してみろ」と振って「違うだろバカ野郎」と突っ込むようなコントで、授業で生まれた笑いをネタに取り込めばいい、というアイデアでした。今の仕事を軸に置きつつ、2〜3発やって飽きられたら戻ってくればいい。北野さんはこれを「穴から顔を出してはまた引っ込む」ような身軽さにたとえています。
中田さんは「相方とまたやってみます」と応え、対談を締めくくりました。漫才の現場で磨かれた感覚が、映画の文法にも、テレビの見方にも、後輩への助言にも通じている。そのことがよくわかる対談でした。
参考動画
- 【北野武】中田が最も憧れた男、世界の北野が映画、笑い、そして時代を語り尽くす!そして中田への助言とは!?(NAKATA UNIVERSITY )